2016年9月22日に男子プロバスケットボールBリーグが開幕します。
最近ではガンガンCMも流れていて、Jリーグでおなじみだった川淵さんもBリーグの生みの親、元会長としてテレビ番組に露出しているので目にした方も多いと思います。
あれ、いつのまに川淵さんがバスケットボールに関わっていたの?とか、そもそもバスケってプロリーグとしてbjリーグっていうのがなかったっけ?など疑問があったので、Bリーグ開幕までの黒歴史を調べてみました。
Bリーグができるまでのゴタゴタ
泳ぐやる夫シアター「スポーツ系 やらない子と学ぶバスケ分裂問題」
を読んで下さい、以上!
と言い切ってよいぐらいまとまっています。
ですが、とても長いです。
と5つの章があり、読み応え満載なので、これを読む時間がない方のために、筆者が簡潔に呼んだ内容をまとめておきたいと思います。
1990年台
1990年台、漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」とマイケル・ジョーダンなどのNBA人気により日本もバスケットボール熱が一気に高まる。
現状維持が大好きな日本バスケットボール協会(JBA)は、熱が高まることは迷惑の話だと発表する。
1995年
実業団リーグでしかなかった日本もプロ化の検討を開始し、JBAは1995年にバスケットボール日本リーグ機構(JBL)』を設立する。
2005年
JBLは「いずれプロ化するよ」と約束しながら一向にその動きを見せず、興行権をチームに付与しないシステム(チケット売り上げなどが巻き上げられるシステム)だった。
企業母体のない新潟アルビレックスとさいたまブロンコスはこれにキレて、JBLを脱退しbjリーグを設立。
逆に脱退にキレたJBA&JBLはbjリーグ側に嫌がらせ開始。
bjリーグを公認しない措置をとったため、代表選手をbjリーグから選ばれないことに。
その結果、プロリーグのbjリーグよりも、アマリーグのJBLの方がレベルが高いという怪現象も。
bjリーグは嫌がらせを受けるも、ショービジネスに舵を切り、ハーフタイム中のショーなどに力を入れることでビジネスとしては成功へ。
2006年
JBLもプロリーグ化すると宣言するも中身は何も変わらず。
いわゆるワールドカップに相当する世界選手権大会がこの年に日本で開催されるも工業的には大失敗。
ハンカチ王子対まーくんが注目される中で、ひっそりと世界選手権が行われ13億円の大赤字。
この失敗を機にJBA&JBLはbjリーグに歩み寄る。
bjリーグも公認となり、代表選手もbjリーグに属することが可能になる。
国際バスケットボール連盟(FIBA)から、腐った日本の態勢を改善せよとお達しが来る。さもないとオリンピックなどに出場させないよ、と。
2012年
JBLは終了し、ナショナル・バスケットボール・リーグ(NBL)に移行。
NBLは「プロリーグであること」を謳うも、実態は何も変わらず。
bjリーグとの統合を目論むも、実業団側の言い分(資金的に選手のプロ契約化は無理)と、bjリーグ側の言い分(完全プロリーグ化)の落とし所を見つけることが出来なかったため。
2014年
11月に、業を煮やしたFIBAがJBAの国際資格停止処分を決定。
これにより、男女ともにあらゆる国際試合に出場できなくなることに。
もちろんオリンピックも。
そして、FIFBによりJBAのガバナンス(組織統治)改革が行われることに。
これにJリーグ立ち上げで有名な川淵さんが抜擢され改革を推進。
2015年
8月に国際資格停止処分の正式解除が決定。リオオリンピックにも出場できることに。
9月には新統一リーグの名称「Bリーグ」とそのロゴが発表された。
2016年
3月にはソフトバンクがBリーグの最上位スポンサーへ。
この記事には、日本のバスケ市場のポテンシャルが以下のように述べられています。
バスケットボールは米国の3大スポーツ(アメフト、野球、バスケ)の一つ。日本では中高生の競技人口が60万人に迫るのに、プロリーグの存在感はないに等しい。裏を返せば、のびしろが大きいとも言える。
確かに、プレーヤー人口が多いのにプロリーグの存在感がないとてもいびつな状況に感じますよね。
そしていよいよこの状況を変える期待を背負った2016年9月22日にBリーグ開幕です。